THE IDOLM@STER MOVIE 輝きの向こう側へ!

微妙にネタバレあり。


アニメ映画を見た後には珍しく、考え込んでいる。おそらくはテレビシリーズで出来なかったこと・やらなかったことをやるであろうから、挫折に対してシビアな見方をしてくる同業者の登場と、アイドルたちとファンとの関係性の話をやるのではないかという予想はしていた。していたのだが、前者はともかく後者についてここまで踏み込んで描いてくるとは予想してなかったのだ。
春香が「後ろの席まで見えるよ」と叫ぶところは(劇中では誰もいないアリーナで誰もいない観客席に向かって叫ぶのだが、その叫びの受け手の中には映画館にいる観客が当然含まれる)、メッセージ的には平凡だけど、構図の反復で誰かと対話するという役回りが春香に付与されることによって観客にきちんと届きやすくなってる。これは感心はしたものの、やろうとしていること自体は予想の範疇ではあった。
しかし、もうひとつの象徴的なシーンである千早の手紙(劇中的には千早の家族宛の手紙ではあるが、観客への手紙というニュアンスも含まれている)のくだりは、あれはもはや単なるメッセージどころか、ポジティブなニュアンスを持った挑発と言ってもいいくらいだ。あのくだりは明快に観客側のレスポンスを求めている。私たちの姿や生き方は観客であるあなたにこの映画で届けた(写真を手紙で送った)。では、あなたはどうなのか?


テレビシリーズもそうだったけれど、このアニメではアイドルの有り様を描き出すような業界モノとしてのリアリティは重視されていない。都合のよさやファンタジーを許容することでアイドル固有の話にはせず、あることに対して頑張る女の子たちの青春ドラマという普遍性を持った話にしている。だからこそ上記のような問いかけが可能になるのだが、しかし劇中で描かれる彼女たちの姿はポジティブでありつつ残酷でもある。自らの気持ちに反することを許そうとはしないのだから。でも、その残酷さこそ若さが見せる輝きそのものだろう。怖いものなんて何もないんだと。
そんなものを逃げ場なく突きつけてくる、まさしく若いスタッフが若い観客に向けて作ったアニメなのだが、そういう潔さはアイマスを楽しむ文脈に適合しにくいようにも思うし、しかし作品の世界観にしっかりと合致した話であるようにも思える。どちらが本当なのか、今も考え込まされてしまっている。




(2014/02/02追記)
くだらない先入観を抜いて見れば、映画自体はシンプルで力強い。プロデューサーが海外へ行ってしまう、というゲームの展開(らしい。僕はアニメ見ただけでゲームやってないので詳しくは知らない)を真面目に考えて話を作れば確かにこうなるだろう。冒頭とラストの飛行機の対比、合宿途中で抜ける真と雪歩(およびその会話)、アイドルへは戻らない律子、千早の手紙と春香のモノローグ(厳密にはモノローグではないが)、その直後のライブとそれを見守るプロデューサー。春香へと注がれる視線が強調される前半と、春香から誰かへと向けられていく視線が強調されていく中盤以降。「自惚れてもいいよね」と言い、他人のデリケートな心の中へ足を踏み入れる春香。良い青春映画だと思う。


問題は、映画がシンプルなら映画の話もシンプルで済むかってことだ。どうやっても混乱する気しかしない。アイマス映画のメッセージって凄くシンプルだし、ポジティブなアイドル曲なんかではよく歌われてそうな内容だと思うんだけど、あの映画はそれを本気でやってしまっているように見える。僕はアイマスファンでもアイドルファンでもないので、アイマスやアイドル(と一括りにすること自体にすでに無理があるのだが)とファンの間で実際に行われているそういったメッセージのやり取りが、双方どこからどこまで本気なのか全然分かんないんだよな。何もかも全部本気だって解釈するのが世の中平和でいいんだけど、そう思えるんだったらアニメファンじゃなくてアイドルファンになってるわけで……。